女子向け旅雑誌の表紙を目指す(弁護士 新井)
本屋に行くと、女子向け旅雑誌といった体の雑誌が一定数存在します。
誌面を開くと、光あふれる写真とモデルの美しさのためか、公衆トイレすら旅情を帯びているようです。
多くの場合、とりあえず重要なのは喫茶店、雑貨屋、食べ歩きとされ親しみやすい内容なので、
私もこうした雑誌に倣い、すぐさま旅情を自演する旅を始めました。
行き先は大体横浜です。この手の雑誌の横浜・鎌倉特集率はきわめて高いです。反面、不思議なことに川崎・さいたま市中央区(私の実家がある)などは一向に特集されません(何も不思議ではない)。
たとえば、この前は初めて伊勢佐木町に行きました。
凡人はややもすれば、電車移動時間などは口を開けて寝ることに専念しがちですが、そこは女子旅。
私は短い移動時間の間にも決して油断することなく、できるだけ電車の外の景色を憂い顔で眺めるよう努めました(明らかに旅情あふれるシーンです)。
彼の地では小さな裏路地や古い店の佇まいに興味を示すようなふりをしつつ、喫茶店・ケーキ店2軒をはしごし、あとはほとんど某新古書店で過ごしました。
喫茶店及びケーキ店では飲食に没頭し、某新古書店では本の物色に没頭しました。没頭すること天下に並ぶ者なしといった有様でしたが、旅雑誌のモデルに自分をなぞらえることは失念してしまいました(失念しなくてもできない恐れがある)。
また、先週は江の島に行く機会もありました。
私はここでも、できるだけ海を憂い顔で眺めるよう努めました(行動にブレがありません)。
しかし、寒かったので5分も経たないうちにシラス丼屋に入ってしまいました。
シラス丼はとてもおいしく胃袋も満たされ、帰りの電車では眠ってしまいました。またしても旅情より食い気で、女子旅のじの字もない体たらくでした。
それにしても、なぜ、私はどこに行っても女子旅雑誌の光あふれる写真中の住人になれないのでしょうか。
旅雑誌が編集者の感性と撮影技術の生んだファンタジーであると気づくのは、いつも帰宅した後のことです。幻想に生きることは難しく、女子旅をするのは諦めました(女子と名乗るのも年齢的に厳しい)。これからは、歩く時のBGMもテクノポップなどの類はやめて「コンドルは飛んでいく」等にし、リュックに水筒、ポケットにはカロリーメイトを常備、10歩歩くごとに「国破れて山河あり、城春にして草木深し・・・」と吟じるような、硬派な旅人を目指そうと思います。
投稿者 小山法律事務所 | 2012年4月11日 20:00