人生と、歩くこと(弁護士 新井裕子)
ドライアイの上肩こり、小太り、法令線、土鍋に加えマグカップが割れる、米袋を倒しオレンジがかびるなどの難事に苛まれています。
このような時、手帳を片手に自己啓発本などを紐解き自分の生き方を変えようとしたり、健康美容のためにグリーンジュースなどを作ったりする、などということは今日も特にしておりません。
こんな時は、ただ歩きたくなります。
よくあるロードムービーのように、行く先々で人との出会い、珍騒動との遭遇、はては知らなかった自分の発見などを期待するのです。
そこで、この前は川崎駅西口方面から、多摩川べりをずっと歩き続けてみました。
自分は吟遊詩人気取りですが、はたから見るとただの怪しい人です。
わかったことは、
歩いてすぐに、服にオナモミのような草が大量につく、のどが渇く、疲れる、またオナモミのような草が服につく、帰りたくなるがバスがない、などといった難事に苛まれるということでした。
なぜ、こんな難事業に挑戦してしまったのか全くわかりません。
徳川家康は、人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとしといいましたが、
すぐ疲れる、オナモミのような難事に襲われるという意味では、たしかに歩くことと人生は似ています。
オナモミに負けず、たくましく咲いているハルジョオンのように人生を歩きたいと思います。
あと、やはり明日から腹筋をしよう。
投稿者 小山法律事務所 | 2012年5月19日 11:41