Q 私は、従業員10人の自動車部品製造の株式会社を経営しています。株式は全部私が所有しています。私は今年80歳で、商社に勤務している息子は会社を継ぐ意志はありませんので、同業のA社に会社を譲渡することにしました。しかしA社は、株式譲渡ではなく事業譲渡の形式にこだわります。株式譲渡と事業譲渡では、どのように違うのでしょうか。
<ご回答>
A 株式譲渡も事業譲渡もM&Aの一つの形式ですが、株式譲渡は、貴方が所有している御社の株式をA社に譲渡し、A社はそれに対して譲渡代金を貴方に支払うことで完了します。
しかし事業譲渡の場合、御社の事業を構成する自動車部品の製造機械等の個々の財産だけでなく、得意先や仕入先との契約関係、個々の従業員との雇用関係をA社に移転することになりますから、複雑で手間がかかります。それでもA社が敢えて事業譲渡の形式にこだわるのは、事業譲渡の場合、個々の財産や債権債務を個別に移転しますので、潜在債務、すなわち決算書などに表れていないけれども将来顕在化するかもしれない債務を除外(引き継がないこと)することができます。これに対し株式譲渡の形式をとった場合、御社はA社の子会社になるだけですから、潜在債務を除外することはできません。
潜在債務でよく問題になるのは未払残業代です。経営者は従業員の労働時間を適正に把握し管理する義務がありますので、通常はタイムレコーダー等で管理しています。しかし経営者の労務管理制度に対する誤解等でサービス残業が行われることはよくあります。毎日1時間のサービス残業があったとすると年間250時間で、1年間の未払残業代(潜在債務)は50万円以上になるでしょう。賃金請求権の時効期間は3年ですから、3年前に遡って1人につき150万円以上、10人ですと1500万円以上を請求される可能性があります。
一般に事業譲渡や株式譲渡などのM&Aでは取引実行(クロージング)前に買主による譲渡対象会社に対する専門家による財務、法務及び税務等の調査(デュ―デリジェンス)が行われますが、経済的時間的制約から必ずしも十分に行われない場合もあります。そこで、潜在債務等を排除するため事業譲渡の形式が好まれる場合があるのです。
事業譲渡では、各契約関係は契約の相手方の同意を得てそのまま引き継がれるのが原則ですが、雇用契約に関しては、潜在債務を遮断するため、従業員は一旦退社し、同時に新会社(本件ではA社)と新たに雇用契約を締結する方法をとるのが普通です。したがって本件では、御社は、事業譲渡実行(クロージング)までに各従業員から転籍承諾書を取得することになると思います。
最後に、株式譲渡と事業譲渡では、取引実行(クロージング)後の手続きも大きく異なります。本件で貴方は御社の株式を100%所有しているのですから、株式譲渡の場合、株式譲渡益に係る所得税(分離課税)等を納めるだけで比較的簡単です。しかし事業譲渡の場合、個々の財産の譲渡は、土地取引等を除き課税取引ですから消費税がかかります。したがって、御社は事業譲渡後、受領した消費税につき納付すべき消費税を計算し納めることになります。また御社は、事業を全部譲渡した後解散し、清算手続きを行います。そして残余財産は、100%株主である貴方が全て受け取り、貴方は所得税を計算して納付し、最後に清算結了登記を行い、御社は消滅することになります。
やはり取引実行前後を通じて事業譲渡の方が手続きは複雑ですね。